人間失格釣り日誌

2020年、再掲載にあたり加筆


1983年
2月3日(木)
営業の仕事で静岡県の三島まで来た。昼過ぎ、一応客先は回って用件は済ませたのでどうしようかなどと考えていた。
このまま会社に帰っても又、別の用件を押し付けられと嫌だから少し時間を潰して、夕方帰ろうなどと考えては見た物の、周りはのどか過ぎる程の田園風景が広がるばかり。
「さて、どうしたものか?」
少し、国道に沿って歩くと一軒の雑貨屋が在った。
「まずは、缶コーヒーでも飲んで」などと思いつつ店に入ると、店先に子供用の釣り道具セットがぶる下がっていた。
奥からバァさんが出てきて、突然「最近裏の川でよく魚が釣れるだよ」などと言う。
そう言えば、私も小さい頃からよく釣りをしていたものだ。
釣りの好きだった親父に3〜4歳の頃から川へ連れて行かれて、中学生ぐらいまでは毎週近くの多摩川で釣りをしていた。
その後、環境が悪化して多摩川はドブ川のようになってしまったのでいかなくなったが、しっかりと釣り人根性を刷り込まれてしまった。
「おバァさん、裏の川で何が釣れるんですか?」
「へぇ、何がって魚に決まってろうがよぅ」
「だから、どんな魚が釣れるの?」
「何でも釣れるがよう。」
何だかこのボケたバァさんの言葉がとても面白くて、つい、子供用の釣りセットと、餌のサシ(サバ虫、要するにハエのウジ虫)を買ってしまった。
店からちょっと行った所に橋が掛かっていて、川に下りられたので、早速釣り支度をする。道具が子供用なので少々気恥ずかしいが、他に誰も釣り人はいなかったので十数年振りに釣りをしてみる。
この川は、何川の水系だろうなどと思いながら釣り糸を垂れると、すぐに小さなアタリがある。
数回空振りした後、ようやく何かが掛かった。
見ると、鯉の子供であった。その後、夕方近くまで、入れ食い状態で鯉っ子を釣っては放しして楽しんだ。
「いかん!、会社に戻らねば」
結局、会社に戻ったのは夜遅くになってしまった。帰りの列車の中で今日一日の釣りを反芻しながら、やっぱり釣りは楽しいなどと思っていた。
勿論、その日の出張手当の請求を提出したのは言うまでもない。
その日から私の人間失格釣行の日々が始まったのである。



2月5日(土) 今日は会社が休みなので近所の釣具店へ道具を買いに行く。
しかし、釣具も十数年の間で随分進歩したものだ。以前、使っていた竿や道具等は全部骨董品みたいになってる。
竿はグラス、テグスはナイロン。ハリスなどはフロロカーボンと来たもんだ。
とりあえず、グラスの4.0mの渓流竿”中調”と、0.8号、0.6号の道糸、噛み潰しオモリ、釣り針何種類(主に秋田袖型)ウキ、その他小物、餌(スイミー等と言うマッシュポテト)びくなどを買う。
その足で家から自転車で10分程の多摩川の昔しよく行ったポイントへ行って見る。場所は、府中の関戸橋と是政橋の中間位で、正面に多摩市の清掃工場の煙突が見える所だ。
ところが、行ってみたら川相ががらりと変わってしまいポイントがなくなってしまっていた。
昔は沈床が川に突き出していて、その周辺が良いポイントだったのに。今では草原になってしまっていた。
しかたなく下流へ行ってみる。是政の堰堤の下にどうやら釣れそうな場所が在ったので釣りをしている人に釣れるかどうか聞いてみると、昭和40年頃から50年頃まではこの辺もドブ川同然だったが最近(数年前の大水後)からだいぶ水質が良くなってきて、ウグイやオイカワ、クチボソ、銀鮒、真鮒、ヘラブナ等が釣れるようになって来たと言う。
確かに、一時の様に、川岸に居てもドブ臭くないし、水も昔程ではないにしても澄んでいるようだ。
仕掛けの用意をして、餌を作って、十数年振りの多摩川釣行である。
しばらく餌を付け替えながら釣っていると、アタリが出始めてクチボソが釣れた。何匹か雑魚を釣ってしばらくするとゴツンと強いアタリが有っていきなりウキが消し込んだ。
「何だこれは?」見当もつかず合わせをくれたが糸は水面から鋭角に突き刺さったままびくともしない。
そのうちぐいぐい沖に向かって動いて行く。竿を立てる閑もなく糸はぷつりと切れて空中ではためいた。
隣で年老いた釣り人がニコニコと微笑んでいた。
「でっけー鯉がこの辺りは多いんだよ。2尺位のはざらだよ」
昔はそんなのは滅多にいなかったけど、最近は漁協がやたらと鯉の稚魚を放流するので、大鯉が川に溢れて居ると言うのだ。


2月6日(日)
今日も朝から是政のポイントを攻める。
昨日の大鯉を何として釣りたいのだ。それも手竿で。
道糸も2号にしたし、竿も家の物置から古い竹竿のごついのを探し出して来て持って来た。
今日は日曜と言う事もあって、釣り場は大勢の釣り人が腕を競い合っている。
何とか空いている場所に入れてもらって釣り始めたのだが、良い場所はすでに年季の入った釣り師に取られていて、見る間に尺近い魚を何匹も釣り上げている。
結局この日は雑魚を数匹釣ってお仕舞いだった。

戻る  続く